2016年5月30日

私がアトピーだったこと。

24年間かけて完治し、気づいたこと。

わたしがわたしを生きてきた全てを、ここに書き記します。

 

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私のアトピーは生まれつきで、幼少期はよく見られる

関節部分のみのアトピーでした。

アレルギー検査は、何もひっかからない、花粉症でもない。

なのに、何故かだんだん炎症はひどくなっていき、

背中や腰、頭にも炎症がでるようになっていきました。

 

私の両親は、私が生まれる前から共働きでした。

母はいつも忙しかったので、私は預かり時間の

長い保育園で育ちました。

保育園のお迎えは、基本的に親が直接迎えに来て、

夕方にお迎えが来次第、それぞれ保護者と帰って

行くというシステムでした。

 

私のお迎えは、いつも最後のほうでした。

 

友達が1人帰っては、遊び相手がまた1人減り、

また1人減っては、また1人・・・

どんどんみんなが帰っていき、

辺りもすっかり暗くなっていました。

最後は誰も居なくなり、残るは先生と、私一人。

 

私のいる部屋だけが、

取り残されたように灯りがついていました。

 

 

「あずさちゃんのお母さん、遅いね。」

 

先生はそう言いました。

私は返事をすることが出来ませんでした。

なんて言葉を返せばいいのか、

どうしていいのか、 わからなかった。

 

「この時間が早く過ぎればいいのに。お母さん、早く来ないかな。

先生も待たせてしまって悪いな。きっと早く帰りたいだろうにな。」

 

泣きそうになりながら、

心の中ではそう思っていました。

 

私はその頃から、自分の気持ちよりも、

誰かを気遣う事を覚えました。

 

母の迎えは恒例のように遅く、時には母ではなく、

おばさんが代わりに迎えに来る時もありました。

小学校に上がっても防災訓練の途中下校で、

親が来れないので、友達の親と一緒に

帰ったりする事もありました。

 

私は迎えに来てくれない母が嫌いでした。

迎えに来れないのは私が愛されてないからなの?

私が大事じゃないから迎えにこないの?

どうして私だけ、いつも取り残されるの・・・?

 

そう思っていました。

 

だけど、いつも忙しそうにしている母を見て、

私は我が儘を言う事が出来ませんでした。

小学校の途中で入った学童で、お迎え時間ギリギリに

母が「ごめんね~!」と走りながら迎えに来た時。

本当は泣きながら「遅い!」と怒りたかった。

だけど、出来なかった。

 

忙しそうに、ヒールをコツコツ鳴らして

必死に走ってくる母を見て、

少し苦笑いしながら見る事しか、

自分には出来なかったのです。

 

でも、本当の本当は寂しかった。

子供のように、泣きたかった。

母にもっと甘えたかった。

甘えたいのに、甘えられなかった。

 

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私がしっかりしなければ」

「泣いちゃいけない」

「泣く事は、弱さを見せる事だ」

 

私はいつも自分の寂しさを必死に抑えて、

我慢して生きていました。

だから小さい頃から、

周りの友達や年上の人からは

 

「凄いしっかりしてるね」

「大人っぽいね」

と言われ続けてきました。

 

顔で笑いながら、

そんなのは、褒め言葉でもなんでもない。

と、心の中でいつも思っていました。

 

そんな生きづらさを感じながら、

子供になれないまま大人になり、

私は成長していきました。

 

続く・・・・